Ohno Shintaro
システム開発部 部長/エンジニア
サバイバル系エンジニアになれたと思う。
幼少期より何か"モノづくり"が好きだった。
NHKの「大空へ!模型飛行機を飛ばそう」に釘付けになり、紙飛行機から竹ひごと和紙で作った飛行機まで作った。
動力に電気や、エンジンを積んだものへ進むと、大人の力と財力の必要性に敗れ模型飛行機の夢は途絶えた。
中学の美術では木目シートを切り貼りして入れ物を作る授業に没頭。
定期テストの勉強を横目に木目シートを切り貼りした。当時はきっとプライオリティの設定が苦手だったのだろう。
優秀作品として校内に展示され、作品の評価も最高だった。
5段階評価で5がもらえるとウキウキしていた通知表、4だった。何が足りなかったのだろう。先生が部活の顧問だったから厳しかったのかな・・。
エンジニアへのきっかけは高校生の時。
シスアドの授業とびかう聞いたことのないカタカナ用語がカッコよく、
モノづくりが好きだったこともありシステムエンジニアになることを決める。
特に"Central Processing Unit"の響きが好き。
社会人になり無事システムエンジニアの道へ進めたが、
超体育会系老舗IT企業で荒波に揉まれ、折れない心と会社に寝泊まりできる野宿耐性を手に入れた。
チームリーダーから大型案件のPMへステップアップして行き、順調に見えたのもつかの間、
それまでの人生で1番辛い時期に、心から仲間の大切さに気がつくことができた時期を過ごした。
ITベンチャー時代の同僚だった現社長の竹部さんと、マーベリックスを立ち上げからJoin。
ディレクター、バックエンド、インフラ、社内の勉強会から、DIYで棚作りまでまで何でもやる。
とにかく、やるぜ!元気!だ!